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大石内蔵助・・「辞世の歌・句」により、人生が一変



   あら楽し
    思いははるる 身は捨つる 
       浮世の月に かかる雲なし





これも、12月定番の忠臣蔵で有名な大石内蔵助の辞世の歌ですね。

身がどうなろうとも信念を貫くという覚悟で、本懐を遂げた(主君の仇を討ち)後に読まれた歌です。

少し戯れた感じのする歌ですが、それがかえって、武士としての大石内蔵助の魂を垣間見るような思いです。

無論、私たちが史実よりも美化された忠臣蔵というストーリーを知っているからでしょうが、それでも切腹覚悟で仇討ちとは相当の覚悟であり、この潔さには涙を禁じえません。

赤穂浪士の討ち入りのきっかけについて若干説明しますと、

・ この事件は『忠臣蔵』という名前で語り継がれていますが、元禄15年12月14日の晩(今の時刻では15日の午前4時頃に、赤穂浪士47名が吉良上野介邸に押し入り、上野介を殺害して主君の仇を討ちました。

・ 事件の発端は1年半前、元禄14年3月14日午前11時頃のことです。赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が、江戸城・松の廊下で吉良上野介(きらこうづけのすけ)義央に斬りかかる事件を起こしたことであります。

・ 浅野内匠頭は皇室の使者を迎える準備に携わっていたのですが、そのおり、要領がわからずに吉良上野介の不興を買って馬鹿にされたため、発作的にこのような愚行に及んだと言われています。

・ 浅野内匠頭はそばにいた大奥留守番役・梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」と必死に抱き止められましたが、上野介は背中と眉間に傷を負わせました。

・ 殿中(江戸城内)で抜刀するというのは、その当時、絶対的な禁止事項であり、事件を聞いた徳川五代将軍綱吉は激怒し、その日のうちに内匠頭に切腹を命じたということです。





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