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島津義弘・・「辞世の歌・句」により、人生が一変



   春秋の
     花も紅葉も とどまらず
       人も空しき 関路なりけり





戦国時代末期、本州では織田信長や豊臣秀吉が全国統一を掲げ戦乱にあけくれていた頃、九州では義久を中心に義弘・歳久・家久の兄弟四人が協力して、島津氏が薩摩・大隈・日向の三州を統一した。

兄義久から家督を譲られると肥後八代城主となりますが、九州制圧を目前に秀吉の九州進出でその野望も消え去りました。

関ヶ原の戦いでは心ならずも西軍となり、戦史に残る敵中突破の大脱走を敢行したのは有名な話です。

西軍の敗走が続く中、陣を構えているのは島津隊のみであり、後ろには西軍の敗走兵とそれを追う東軍の兵が満ち溢れていた。

数百メートル前方に家康の本陣が移動していたので、義弘はここに最後の戦いを挑むことを考えましたが、義弘を思い島津家の将来をうれう豊久や盛淳の戦場離脱のすすめがあり、これに応じて退却することに決めた。

その方法は後ろに引かず前方の東軍の中を敵中突破で突抜け、南宮山と松尾山の間、前日来た道を南に抜けるというものであり、前に退くという方法は前代未聞であり、その島津隊の勇敢さをしてこの退却戦を「島津の退き口」と称されています。

なお、関が原の合戦以後は、子の忠恒に家督を譲って恭順の意をしめし、かろうじて本領安堵されました。

上記にある辞世の歌の中の「関路」とは、関が原の合戦からの退却路をあらわしているといわれます。

花や紅葉もとどまることを知らずに散ってしまう、自分も空しく関が原で散ってしまったという歌です。

関が原の合戦後に生きた年月は、夢や希望を抱くこともなく、目的を失った一老人の心境になり、生きる気力を失くしてしまったのかもしれません.。





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