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上杉謙信・・「辞世の歌・句」により、人生が一変



   極楽も
    地獄もさきは 有明の
       月の心に かかる雲なし




甲斐の虎『武田信玄』と生涯ライバルであった越後の龍『上杉謙信』は、戦国の世はとっくの昔に終わったが、今もなお愛され尊敬されており、その魅力はどこからきているのでしょう。

上杉謙信の簡単な生い立ちについて

上杉謙信の父・長尾為景、母・虎御前。幼名は虎千代と名づけられ、父は越後の守護代で、同族には上杉定実がいました。

謙信は幼い頃から春日山林泉寺(新潟県)の天室光育(てんしつこういく)に預けられ僧侶として育つことになり、父が病のため隠居すると、兄の長尾晴景に家督を譲った。

しかし晴景は病弱かつ酒に溺れ合戦には出ず、家臣からは信頼を得られなかったので上杉定実の説得により謙信を養子に迎え長尾家の当主にしたようです。

関東では北条氏が力をふるっており、関東管領の上杉憲政に何度も援軍を送り、関東管領を譲り受け武田信玄と川中島で度々争うことになったわけです。

領土を奪ってくる敵国に塩を送った

有名な逸話ですが、武田信玄が駿河(静岡)の 今川氏真と敵対していた頃、甲斐に塩を送るのを禁じ、北条側にも甲斐の武田の力を押えようと塩を送るのを禁じさせた。

上杉謙信は、甲斐は山国のため生活に必要な塩が入手できず困っているであろうし、「塩を絶つとは卑劣で武士の恥であり、相手の国の力を弱めようとする行為自体が、相手に対し恐れをもっている証拠だ」と言い、敵国である武田家に塩を通常の価格で売ったといいます。

これが本当であれば、心が広く情の厚い人物であったことも伺い知れますね。






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